価値を与えること~東日本大震災の記憶から~





今日、近畿地方を中心に、震度6弱の地震が襲いました。

交通機関に影響を与えたほか、尊い命をなくされた方もいます。

 

 

私は、地震が起こると、

どうしても、東日本大震災を思い出します。

 

東日本大震災のまさにその時、

わたしは持病の治療のため、

 

手術を直前に控えていました。

 

幸い、私の住んでいる地方には、

大きな被害はなかったのですが、

テレビを通じて日を増すごとに報道される

被害の現状はとてもすさまじく、

胸を突き刺すようでした。

 

 

すぐにでも誰かの力になりたったのですが、

病床についていた私に力になれることは何もなく、

ただただ、テレビというフィルターを通して

伝えられる現状を受け取ることしかできませんでした。

 

 

 

原子力発電所が爆発する瞬間。

わたしはそのテレビ中継を、

病院のベットの上で、見ていました。

「ああ、終わったな」

そう思ったのがつい昨日のことのように思います。

 

 

 

何もできない自分がただただ悔しかったです。

 

 

 

 

治療を終えた私は、

無事に退院をしました。

家に帰って、温かい布団で眠ることができました。

 

 

でも、そんな日常が戻ったのは私だけで、

そうしている間でさえ、

被災地のみなさんは

凍える寒さをしのぎながら、

必死で生きていました。

 

 

 

私はそれがとてもつらかったんです。

 

 

 

私にできることを必死に考えましたが、

病み上がりの自分にできることなんて

何もありませんでした。

 

 

 

 

時間が経つにつれて、ボランティアの受け入れ態勢も整い、

私の地元からも相乗りで現地に向かう人々も出てきました。

 

 

あるとき、知人の紹介であるチャンスに出会いました。

 

 

 

津波により汚染された写真の洗浄をするボランティアです。

 

 

 

現地から写真を持ち帰り、

丁寧に写真を洗浄したあとに、

また現地にお返しする活動でした。

 

 

 

私は、まっさきにその活動に飛びついて、

ひとつひとつの写真を綺麗に拭き取り、

なるべくお顔や景色が残るようにしながら

カビを取り除き、乾燥をさせました。

 

 

 

この写真が持ち主の元に届くことをただただ願いながら。

 

 

 

 

 

正直、この活動をして、「ありがとう」と言われることはありません。

写真が持ち主に返るかどうかも分かりません。

写真に写る笑顔のひとびとがまだ生きているかどうかも分かりません。

 

 

それでも、私はこの活動に賛同し、

無償の価値を届けたいと思いました。

 

 

そこにはもちろん利益なんてものはありません。

でも、「誰かに無償の価値を与えること」、

これが、何よりの自分にとっての価値だと感じていました。

 

 

 

今、私はビジネスを学んでいます。

ボランティアとビジネスは相反するものですが、

「だれかのためになりたい」、この思いが、

私のルーツであり、私の信念だと感じました。

この思いがあれば、

どこにもぶれす、自分を貫いていけると思いました。

 

 

なかなか文章がまとまらずすみません。

今日は、このお話をしたかったんです。

 

最後に、本日の地震で

被害に遭われたすべてのみなさまに、お見舞い申し上げます。

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